一日一禅語「一翳在眼 空華乱墜」と日々是好日な日誌ー3
一翳在眼 空華乱墜は、一翳眼に在れば、空華乱墜す(いちえいまなこにあれば、くうげらんついす)と読みます。
一翳はちょっとしたかげり。
空華はかすんだ目でで空をみるとき、ちらちら見える花のようなもの。実体のないものを実体と見誤ることのたとえ。
乱墜は乱れ落ちること。
目に小さい埃が入っただけで、幻の華が宙を舞って乱れ落ちるということです。
心の中にほんの少しでも汚れが生じると、たちまち煩悩に埋め尽くされてしまいます。
迷いや煩悩があると、心か乱れてしまって正確に把握できないことを指しています。
小さな欲にかられて、判断を誤り、大きな不正へと走ってはいけません。
悪い誘惑に負けないよう、強い自己をつくりたいものですね。
(写真は京都 東寺 五重塔)
自分が生まれてからの、総理大臣と現代史を振り返ってみるー3(昭和49年~昭和51年 三木武夫内閣)
田中角栄さんに代わって昭和49年に第66代総理大臣になられたのは、三木武夫さんです。(自分は10歳時)
この年は、巨人軍の長嶋茂雄選手が現役引退されています。
このあたりから自分の当時の記憶に残っていますね。
三木武夫さんは「クリーン三木」、「議会の子」との異名を持ち、金権政治の打破や政党政治の浄化に執念を燃やしました。
田中角栄さんの金脈スキャンダルによりはげしいバッシングをうけた自民党は、派閥間政争の起きかねない公選を避け、話し合いで首相を決めることとしました。
党の長老で当時の自民党副総裁の椎名悦三郎さんの指名により、少数派閥ではありましたが、クリーンなイメージの三木武夫さんの総理大臣に決まっています。
政治改革をめざした政策を掲げましたが、党内の反発が強まっていきます。
そんな中、昭和51年 (自分は12歳時)にロッキード事件が発覚します。
アメリカの航空機製造の大手ロッキード社が、日本をはじめとする世界各国の高官に売り込み工作として賄賂を贈ったことが明らかとなりました
政治浄化を掲げる三木総理は事件解明に努力します。
同年、ロッキード事件により前首相の田中角栄さんが逮捕されます。
それにより党内の三木内閣への反発が激化し、「三木おろし」の動きが強まります。
同年末に衆議院議員総選挙を迎えます。
この選挙は三木総理と反三木派の対立で、自民党の事実上分裂選挙となりました。
結果自民党は大敗し、かろうじての多半数確保となっています。
その責任をとり、三木内閣は総辞職しました。
ちなみに昭和51年は子門真人さんの「およげたいやきくん」が大ヒットしています。
懐かしいですねー。
一日一禅語「雲無心出岫」と日々是好日な日誌ー2
雲無心出岫は雲無心にして岫を出ず(くもむしんにしてしゅうをいず)と読みます。
雲は岫(洞穴のこと)から湧き上がって、風の吹くままに、形を変えて流れていきます。
雲は無心であり、悠々と湧き出て、風のままに流れ、悠々と去っていく。
何のわだかまりも無い、自由自在な無我の境地を表した言葉です。
自分の生き方や考え方に固執してしまうことで、他人の言うことに聞く耳を閉じてしまうことってありますよね。
結果いさかいが生じたり、人間関係がぎくしゃくしたりして、物事がうまく進まなかったりとか。
そんな時は雲を思い出してみましょう。
自然に身をまかせ、悠然と振るまいたいものです。
(写真は京都 東寺塔頭 観智院)
自分が生まれてからの、総理大臣と現代史を振り返ってみるー2(昭和47年~昭和49年 田中角栄内閣)
佐藤栄作さんに代わって昭和47年に第64代総理大臣になられたのは、田中角栄さんです。(自分は8歳時)
田中角栄さんは高等小学校卒ながら総理大臣にまでのし上がった経歴から「今太閤」と持てはやされました。
同年に「日本列島改造論」を発表されています。
また同年、長年の外交課題となっていた日中国交正常化を成し遂げました。
この頃が田中角栄さんの絶頂期であったようです。
同年に勢いに乗って衆議院を解散し選挙戦に打ってでましたが、共産党が躍進し、過半数は確保するものの議席減数となっています。
同年より第2次田中内閣発足しました。
「日本列島改造論」を掲げ、国土開発が盛んになりました。
しかし開発により土地価格は高騰し、激しいインフラを引き起こしました。
昭和48年には第四次中東戦争の勃発により第一次オイルショックが起こっています。(9歳時)
OPEC(石油輸出国機構)は原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行い、国際原油価格は3か月で約4倍まで高騰しました。
これにより、石油消費国である先進国は大きく混乱、エネルギーの8割近くを輸入原油に頼っていた日本も例外ではありませんでした。
物価・地価上昇など経済失政への批判が高まる中、内閣支持率も下がり、田中政権は凋落しました。
昭和49年参議院選挙。(10歳時)
田中角栄さんは多額の選挙資金をばらまいた選挙戦を展開、タレント候補を多数を送り込みなんとか大敗北は免れましたが、その選挙戦は「金権選挙」と激しく非難されました。
同年「週刊文春」に金脈問題を追及した記事が掲載され、メディアや野党、さらに自民党主流派の激しい追及で進退窮まり、ついに田中内閣は退陣しました。
一日一禅語「汝被十二時使 老僧使得十二時」と日々是好日な日誌ー1
禅語「汝被十二時使 老僧使得十二時」を紹介します。
唐の趙州禅師は、弟子に「時間は容赦なく刻々と過ぎていきますが、1日24時間をどのような心構えで過ごしたら良いでしょうか?」と問われた際に
汝被十二時使 老僧使得十二時
と答えられたそうです。
「お前は時間に追われ、時間に使われているが、私は時間というものを自在に使い切っているぞ」という意味です。
なんか心に刺さる言葉でした。
日々何となく時間に追われてしまっていますよね。
時間を使いこなすぞっている気概で、日々がんばりたいですね。
自分が生まれてからの、総理大臣と現代史を振り返ってみるー1(昭和39年~昭和47年 佐藤栄作内閣)
自分は昭和39年11月に生まれました。
東京オリンピックの年です。
オリンピックは10月10〜24日の間だったようですので、終わってからですね。
オリンピック前には東海道新幹線が開業しています。
日本経済は高度成長期に突入していきます。
生まれた時の総理大臣は第61代、佐藤栄作さん。
第63代まで、7年8ヶ月の長期政権だったようです。
全く記憶にないですが。
在任中の主な出来事を挙げていきます。
昭和40年に日韓国交正常化されています。(自分は1歳時)
昭和43〜44年に東大紛争が起きています。(4~5歳時)
東京大学における大学紛争で、東大闘争とも呼ばれています。
主に学部生、大学院生と大学当局の間で、医学部処分問題や大学運営の民主化などの課題を巡り争われました。
https://blog.hatena.ne.jp/irakun0371/irakun0371.hatenablog.com/edit?entry=26006613648611468#source
急進的な学生が安田講堂を占拠して、警視庁機動隊が学内に入り、多数ていますの逮捕者が出ました。
昭和43年には三億円事件も起こっています。(4歳時)
東京都府中市で起きた戦後最大の窃盗事件です。
犯人のモンタージュ写真が出回り、大規模な捜査が行われましたが、結局犯人は見つからず時効を迎えています。
昭和45年には大阪万博が開催されています。(6歳時、行った記憶あります)
日本で初めての国際博覧会です。
総入場者数は6421万人と万博史上最多で、万博史上初めての黒字となりました。
岡本太郎作の「太陽の塔」は現在も万博記念公園に残っています。
昭和47年に沖縄日本返還がなされています。(8歳時)
同年に佐藤内閣は退陣しました。