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自分が生まれてからの、総理大臣と現代史を振り返ってみるー3(昭和49年~昭和51年 三木武夫内閣)

田中角栄さんに代わって昭和49年に第66代総理大臣になられたのは、三木武夫さんです。(自分は10歳時)

この年は、巨人軍の長嶋茂雄選手が現役引退されています。

このあたりから自分の当時の記憶に残っていますね。

三木武夫さんは「クリーン三木」、「議会の子」との異名を持ち、金権政治の打破や政党政治の浄化に執念を燃やしました。

田中角栄さんの金脈スキャンダルによりはげしいバッシングをうけた自民党は、派閥間政争の起きかねない公選を避け、話し合いで首相を決めることとしました。

党の長老で当時の自民党副総裁の椎名悦三郎さんの指名により、少数派閥ではありましたが、クリーンなイメージの三木武夫さんの総理大臣に決まっています。

政治改革をめざした政策を掲げましたが、党内の反発が強まっていきます。

そんな中、昭和51年 (自分は12歳時)にロッキード事件が発覚します。

アメリカの航空機製造の大手ロッキード社が、日本をはじめとする世界各国の高官に売り込み工作として賄賂を贈ったことが明らかとなりました

政治浄化を掲げる三木総理は事件解明に努力します。

同年、ロッキード事件により前首相の田中角栄さんが逮捕されます。

それにより党内の三木内閣への反発が激化し、「三木おろし」の動きが強まります。

同年末に衆議院議員総選挙を迎えます。

この選挙は三木総理と反三木派の対立で、自民党の事実上分裂選挙となりました。

結果自民党は大敗し、かろうじての多半数確保となっています。

その責任をとり、三木内閣は総辞職しました。

 

ちなみに昭和51年は子門真人さんの「およげたいやきくん」が大ヒットしています。

懐かしいですねー。

 

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