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自分が生まれてからの、総理大臣と現代史を振り返ってみるー2(昭和47年~昭和49年 田中角栄内閣)

佐藤栄作さんに代わって昭和47年に第64代総理大臣になられたのは、田中角栄さんです。(自分は8歳時)

田中角栄さんは高等小学校卒ながら総理大臣にまでのし上がった経歴から「今太閤」と持てはやされました。

同年に「日本列島改造論」を発表されています。

また同年、長年の外交課題となっていた日中国交正常化を成し遂げました。

この頃が田中角栄さんの絶頂期であったようです。

同年に勢いに乗って衆議院を解散し選挙戦に打ってでましたが、共産党が躍進し、過半数は確保するものの議席減数となっています。

同年より第2次田中内閣発足しました。

日本列島改造論」を掲げ、国土開発が盛んになりました。

しかし開発により土地価格は高騰し、激しいインフラを引き起こしました。

昭和48年には第四次中東戦争の勃発により第一次オイルショックが起こっています。(9歳時)

OPEC石油輸出国機構)は原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行い、国際原油価格は3か月で約4倍まで高騰しました。

これにより、石油消費国である先進国は大きく混乱、エネルギーの8割近くを輸入原油に頼っていた日本も例外ではありませんでした。

物価・地価上昇など経済失政への批判が高まる中、内閣支持率も下がり、田中政権は凋落しました。

昭和49年参議院選。(10歳時)

田中角栄さんは多額の選挙資金をばらまいた選挙戦を展開、タレント候補を多数を送り込みなんとか大敗北は免れましたが、その選挙戦は「金権選挙」と激しく非難されました。

同年「週刊文春」に金脈問題を追及した記事が掲載され、メディアや野党、さらに自民党主流派の激しい追及で進退窮まり、ついに田中内閣は退陣しました。

 

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